増田立義の家族構成や息子は?お茶工場の会社がどこかも調査!

9月5日静岡県牧之原市の認定こども園、川崎幼稚園の通園バスに取り残された3歳の女児が意識を失っているのを職員が発見し、その後死亡が確認されました。

死因は熱中症とみられ、その日バスの運転手だった増田立義園長が、女児を車内に残したままなことに気付かず、5時間以上放置しました。

バスには園長の他70代の職員も乗車しており、女児を含む6人の園児を載せて園に到着しました。

事件当日の牧之原市は30.5度まで気温が上がり、バス内は高温となっていたと考えられています。

女児が発見されたときは意識呼吸共になく、体温も非常に高い状態になっていたとのことです。

車内には女児が飲み干したとみられる空になった水筒が発見されています。

増田園長は7日の保護者向け説明会で、辞任する旨を明らかにしました。

このような事件を起こした増田園長の家族構成はどのようなもので、息子はいるのでしょうか。

そして増田園長の父親はお茶の工場も経営しているそうですが、その会社はどこなのでしょうか。

今回は「増田立義の家族構成や息子は?お茶工場の会社がどこかも調査!」と題してまとめていきます。

 

増田立義の家族構成は?

増田園長は川崎幼稚園を父親から引き継ぎ、経営していました。

川崎幼稚園は1980(昭和55)年に設立し、初代園長は増田秀夫という名前です。

この初代園長が増田園長の父親ではないかと考えられます。

川崎幼稚園には他にも増田姓の人物の名前が、職員として記載されており、この人物が息子ではないかという声が上がっています。

そうであれば増田園長には妻となる人物がいるはずですが、増田園長の家族に関する情報は見つかっていません。

 

増田立義の息子は誰?

川崎幼稚園は家族経営の幼稚園のようです。

経営者の名前に増田姓が多くみられるため、そのような推測がたっています。

事件の後の報道のインタビューに出ていた事務長も増田姓で、この人が前章でも記載した増田園長の息子ではないかという声がSNS上では上がっています。

しかし、増田園長の家族に関する情報は見つかっていませんので、事務長も増田園長の息子であると断定することはできませんでした。

 

増田立義の父親のお茶工場の会社はどこ?

増田園長は53歳の時に父親から幼稚園の経営を引き継ぎました。

増田園長は専修大学の経営学部を卒業して15年後に短期大学の保育科へ進学しています。

経営を引く継ぐことが決まり、そのために資格取得を目指したのでしょう。

その間はどのように過ごしていたかは不明です。

もしかしたら父親のお茶工場で働いていたのかもしれません。

増田園長の父親は海軍兵学校の出身で、子供たちを厳しく指導していたといいます。

息子である増田園長は父親と正反対の性格で、自分の発言にも責任を取ろうとしないような、いい加減な性格だったそうです。

増田園長の父親が経営するお茶工場がどこなのを検索しました。

しかし、静岡なのでお茶に関する会社が多数あり、また年齢の関係で経営から退いている可能性が高いため、見つけることはできませんでした。

 

まとめ

今回は「増田立義の家族構成や息子は?お茶工場の会社がどこかも調査!」と題して、記事にまとめてきました。

9月5日静岡県牧之原市の認定こども園、川崎幼稚園の通園バスに取り残された3歳の女児が意識を失っているのを職員が発見し、その後死亡が確認されました。

死因は熱中症とみられ、その日バスの運転手だった増田立義園長が、女児を車内に残したままなことに気付かず、5時間以上放置しました。

増田園長の家族構成や息子が誰なのかは公表されていません。

しかし、川崎幼稚園は増田園長の父親から経営を引き継いでおり、事務長にも同じ姓の人物が就任しているので、家族経営で息子が事務長を務めているのではないかと推測の声が上がっています。

そして増田園長の父親が経営するというお茶の向上を捜索しましたが、静岡県にはお茶に関する会社が多数存在しており、特定することはできませんでした。