今年も年末のNHK紅白歌合戦が迫ってきました。
その注目の番組に2度出場経験がある歌手である神楽坂浮子さんには、娘がいました。
娘についてあるメディアで過去に報道され、最近ではYouTubeでも動画が公開されて話題となっています。
2013年11月20日に神楽坂浮子さんはこの世を去っていますが、娘はメディアで壮絶な人生を歩んできたことを語っています。
そんな娘さんですが、現在の画像や年齢、名前について気になっている方が非常に多いようです。
そこでこの記事では、神楽坂浮子の娘について、現在の画像を調べてみたいと思います。
また、名前や年齢についてもまとめていきます。
神楽坂浮子の娘の現在の画像は?
まずはじめに、神楽坂浮子さんの娘の現在の画像についてです。
当サイト独自の調査で娘の現在に関する画像を調べてきましたが、報道されているもの以外で画像はヒットしませんでした。
現在判明しているのは顔がモザイクで加工されてぼかしの入っている写真だけです。
中学の時の娘さんの画像が見つかりましたが、これについてもぼかしが入っています。
「最後の芸者歌手」と言われた神楽坂浮子さん。
テレビ等で私たちが見る彼女は、人々が注目する舞台でスポットライトを浴びて華やかな人生を送っているように見えますが、娘はまったく違う人生でした。
10代の頃から覚醒剤に溺れ、その期間は20年以上もの長い期間になりました。
反社会的勢力の男たちにおもちゃのようにもて遊ばれて、逮捕されたこともあるのです。
このように反社会的勢力と結びつきが強かった時代があるので、娘の画像が一切表に出てこないのかもしれませんね。
さらに神楽坂浮子さんの娘に関して調査を進めてみると、画像が公になっていない理由に関してヒントをつかむことができました。
新宿の病院で生まれた
神楽坂浮子の娘が生まれたのは、東京都新宿区にある病院でした。
生まれたのは1974年のことでした。
母親と再婚相手との間に生まれた子供でしたが、娘が生まれた直後に両親は離婚しています。
その時点で神楽坂浮子は芸能界を引退していて、二人の子供をシングルマザーとして育てていました。
神楽坂浮子の娘は母親に捨てられた?
神楽坂さんの娘に関する記事のなかで、神楽坂浮子さんは「芸能人」として生きていて、母親の役割を捨てていたという言葉があります。
舞台などに娘と一緒に行く時には自分はブランド品で着飾って、自分が保有している高価なバッグを娘にも持たせていました。
行く先々でお金があってリッチな生活をしているように振る舞い、娘と仲良しな様子をアピールしていますが、ふと家に着くと態度は一気に変わって娘からバッグを奪うほどでした。
娘さんが話しかけても返事すらせずに目も合わせないことも多く、着るものや靴も買ってあげなかったといいます。
娘さんは記事のなかで、このように語っています。
・母は娘に関心を持っておらず、自分にしか興味がなかった
・外出の際に「行ってきます」と言っても返事がないのが当たり前だったので、気づいてもらおうとドアを思い切り閉めて外出するのが習慣になっていた
・物心ついた時から自分のなかでは普通だったので、周りの人から「神楽坂浮子の娘」と言われても嬉しくない
ある日のこと、娘が小学5年生の時に神楽坂浮子さんは東京都内の高級住宅地にあるマンションに1人で引っ越すという出来事がありました。
引っ越していった場所は、浮子さんと愛人関係だった大企業社長がプレゼントしたマンションで、密会場所として使われていた部屋だったのです。
その行動をきっかけに、母親である神楽坂浮子さんに捨てられたと思った娘さん。
このようなエピソードもあったため、家族写真などは出回っていないことはもちろん、残っていないのかもしれません。
神楽坂浮子の娘の名前は?
それでは、気になる神楽坂浮子の娘さんの名前を解説していきたいと思います。
娘さんについて報道された記事では、名前が「高野香瞳」と報道されていました。
その他、娘についてわかっているのは以下の情報です。
名前(仮):高野香瞳
生まれた年:1974年
年齢:48歳前後
出身中学高校:東京から離れた、私立の中高一貫の学校に入学し寮に入っていた
出身大学:東北地方にある大学を中退
職歴:六本木の有名高級クラブで勤務し、芸能事務所に登録
出身地:東京都
住所:関東から離れた遠い場所
娘の名前について記事では「高野香瞳」と書かれていますが、仮名という注意書きも書いてあります。
そのため、娘の名前は公開されていないので何もわからない状態です。
ただ、「神楽坂」は芸名で、神楽坂はん子さんという学生時代に人気だった人に憧れて名付けた名前です。
神楽坂と言うのは本当の苗字ではなく、神楽坂浮子さんの本名は「大野景子」といいます。
このことから、娘の苗字も「大野」ではないかと思いますが、娘は神楽坂浮子さんと再婚した人の間に生まれているので、再婚相手の苗字が本名かもしれませんよね。
ただ、娘さんも神楽坂浮子の子供だと思われたくないと断言しているので、今後も公表する気はないのでしょう。
神楽坂浮子の娘の学校はどこ?
神楽坂浮子の娘の学校を調べていくと、中学生の頃に母親のつてで私立の中高一貫の学校に進学していました。
東京から離れた場所ということで、学校の寮で生活していました。
その当時、母親の神楽坂浮子さんは愛人と暮らしていました。
愛人との生活のためには子供が邪魔だったので、入寮させられさせたのではないかと考えてしまいますよね。
高校を卒業した後に、娘さんは母親のコネで東北地方にある大学へ進学したものの、1年弱で中退してしまっています。
以上のことから、娘さんの最終学歴は大学中退になりますが、どこの学校で学んでいたのかまでは特定することができませんでした。
中学校時代から非行に走る
神楽坂浮子の娘は中学校から非行に走っていました。
中学1年生でタバコを始めて、2年生になるとシンナーにも手を染めていました。
学校をサボってはシンナーを毎日のように買いにいった結果、薬物の密売人でもあった反社会的勢力の男性と交際に発展しました。
ほどなくして学校の寮には帰らなくなり、暴力団組員との同棲生活が始まったのです。
大学中退後に六本木のクラブで働く
東北の大学を中退してからは、東京都の六本木にあった高級クラブで働きました。
夜の店の多い六本木の中でも特に格が高いお店で、毎日のように大物芸能人が出入りするような店でした。
ただ、働いていたキャストは20歳そこそこの若者しかいなく、勤務が終わった後には仲間たちと遊んでいました。
この仲間たちは髪を派手にしたりピアスをしたりして夜通し遊んでいる集団で、いわゆる反社会的勢力の集まりでした。
薬に染まって狂った人生
そんな仲間たちとディスコやクラブで踊り明かす日々を送る中、人生が狂う出来事がありました。
覚醒剤に手を染めてしまったのです。
我に返ったのか母の元に一度は戻ったものの、二人は何度も衝突をして、またもや覚醒剤を求めて売人の元に戻ります。
しかし、覚醒剤や寝る場所を手に入れる代わりに求められたのは性行為。
密売者の言いなり状態で、多額の借金さえも背負わされてしまって、ホテルで待つ客に女性を送り届ける「ホテトル」を始めます。
このころには、覚醒剤に汚染した体になっていて正常に考えることさえもできませんでした。
反社会的勢力の集団に覚醒剤を注射器で打たれては「シャブ漬け」の状態となってしまい、ひたすら性のおもちゃとして扱われていたのです。
火葬場で最期を見送ったのは娘一人だけ
神楽坂浮子さんの娘の間でその後も続いていたのは犯罪を重ねる日々。
しかし、あるとき自治体の職員からかかってきた電話で目を覚まします。
神楽坂浮子さんが亡くなったことを知らされたのです。
生活保護を受けている状態で神楽坂浮子さんは亡くなり、身寄りのないなかで娘さんに連絡がきたのでしょう。
生活保護の事実すらも知らなかったのかもしれませんね。
火葬場にいたのは娘さん一人だけで、あれだけ有名で大舞台で活躍していた母親だったのに、最期は寂しいものでした。
その後母の遺骨を1度は受け取った娘さんですが、犯罪に手を染めた結果刑務所に服役中には知人に預けていました。
しかし相手は反社会的人間で突然音信不通になってしまい、遺骨はおそらく捨てられたのではないかとされています。
母親が亡くなった後、娘さんは関東から遠く離れた場所で暮らします。
まとめ
この記事では、「神楽坂浮子の娘の現在の画像は?名前や年齢も徹底解説!」というタイトルで記事を作成してきました。
NHK紅白歌合戦に2度出場するなど、きらびやかで輝かしい人生を送っていた神楽坂浮子さん。
大舞台で活躍して注目されている母親の生活の陰で娘さんは苦しい人生を送っていたことが明らかとなり、衝撃を受けました。
神楽坂浮子さんの娘に関して、現在の画像を調べてみました。
年齢、名前なども詳しく調査してきました。
しかし、神楽坂浮子さんの娘に関して現在の画像はみつからず、名前も詳しくはわかりませんでした。
娘は小学校を卒業をした後に私立の中高一貫校に進学。
高校卒業後には東北にある大学を中退し、反社会的勢力との交際などもしていました。