個性的な俳優として活躍の場を広げている佐々木蔵之介さん。
演技力はもちろんのこと、真面目さの中に適度なゆるさもあって面白いですよね!
そんな佐々木蔵之介さんは、現在のように俳優として働く前は広告代理店の会社で働いていた時期があります。
しかも、同じ会社の同期にはお笑い芸人のますだおかだの増田さんがいました。
今や芸能界で活躍している二人が、同じ広告代理店で働いていたとはすごい驚きですよね。
では、佐々木蔵之介さんが働いていた会社はどこなのでしょうか?
大広という噂がありますが本当なのでしょうか?
ということでこの記事では、佐々木蔵之介さんが務めていた会社が大広なのかを中心にまとめていきます。
佐々木蔵之介の会社は大広?
佐々木蔵之介さんは神戸大学を卒業した後、マーケティングを勉強するために広告代理店「大広」に入社しました。
大広は大阪に支社があり、サラリーマン時代は大阪で過ごしていました。
ちなみに、当時の新卒学生向けの会社案内パンフレットには佐々木蔵之介さんが掲載されていたというエピソードもあります。
佐々木蔵之介さんの実家は「佐々木酒造」という酒造会社を経営していて、家業を継ぐことも選択しとしてはありました。
しかし、佐々木さんは酒造りは後から学べると考えて、まずは商品の売り方を学んだ方がいいと考え、家の会社は継がずに、就職を選びました。
商品をどう売るかを学べる場として、佐々木蔵之介さんが選んだのが広告代理店でした。
広告会社であれば様々な商品のマーケティングや販売促進を学べますからね。
将来的に京都で酒造会社を継ぐとしても、商品の売り方を学んでおいて損はないですよね。
佐々木蔵之介の大広での仕事内容は?
佐々木蔵之介さんは広告代理店「大広」の営業部に配属されて2年半勤めました。
担当していたのは、広告代理店らしい華やかな仕事ではなく、官公庁や公団といった堅めな行政系の仕事でした。
佐々木蔵之介さんは大学在学中に劇団の立ち上げにも関わって芝居にのめりこんでいましたが、就職後に辞めようと思っていたところ大阪で働くことになったのでそのまま続けていました。
会社員時代のエピソードは?
佐々木蔵之介さんは会社員として働きながら、役者の活動も続けていました。
広告代理店の仕事は大変そうですし、仕事と舞台の両立は大変そうですよね。
そしてある時、東京の劇団「キャラメルボックス」から3カ月間の公演の誘いを受けた佐々木さん。
しかし、大阪で仕事をしていたので一度は出演を断りましたが、現団は何度も声を掛けてくれました。
当時の上司からは「3か月間なら休めばいい」と言ってもらったそうですが、佐々木さんはさすがに3ヶ月も休むわけにはいかないと思い、辞めることにしたそうです。
ちょうど本人も、芝居の道に進もうと思っていたときでした。
会社をやめる決断をした佐々木さんですが、理解のある上司がいたおかげで、会社員と役者の活動を両立できたのだと思いますね。
会社をやめた理由は?
会社員をしながらお芝居を続けていた佐々木さんですが、会社を退社する前もこのままでいいのかなと悶々としていたようです。
でも、少し芝居をやって駄目だった時に実家の家業に戻ることは、失礼なのでなしにしようと思っていたともいいます。
このような背景を知ると、佐々木蔵之介さんが誠実な性格だとわかりますね。
芝居を続けるなかで芝居を続けたい思いが強くなっていきます。
その後、キャラメルボックスの舞台に出演することになり、2年半勤めた会社を退職しました。
上京してからはドラマや映画での出演が増え、今では個性的な雰囲気を出す人気俳優ですよね。
佐々木蔵之介はますおか増田と広告代理店で同期?
佐々木蔵之介さんが会社員をしていた頃、ある芸能人と同期でした。
それが、お笑い芸人であるますだおかだの増田さんです。
1992年に大広に入社した佐々木蔵之介さんですが、増田さんの入社も同じ1992年でした。
ただ、当時の年齢は、佐々木蔵之介さんが24歳で増田さんよりも2歳年上でした。
その後、二人はドラマ『黄昏流星群~人生折り返し、恋をした~』で同期のサラリーマン役として出演しました。
実際に同じ会社で同期だった二人がドラマでサラリーマン役として登場するのは感慨深いですね。
まとめ
この記事では、佐々木蔵之介さんが会社員として務めていた会社について調べてきました。
どこの会社なのかを調べてみると、大広という広告代理店で、大阪の支社で働いていたことがわかりました。
そして、大広の同期にはお笑い芸人のますだおかだの増田さんがいたことも判明しました。
俳優とお笑いの舞台で活躍している二人が、同じ会社の広告代理店で働いていたのはすごいですよね。
今後の二人の活躍にも目が離せないですね。